有松絞りと鳴海絞り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/14 08:28 UTC 版)
「有松・鳴海絞り」の記事における「有松絞りと鳴海絞り」の解説
有松と鳴海は、2020年現在共に名古屋市の緑区に属しているが、名古屋市に編入されるまでは有松は知多郡、鳴海は愛知郡に属しており、元々は全く別の地域である。有松絞りと鳴海絞りは現在でこそ「有松・鳴海絞り」として一括して伝統工芸品に指定されているが、江戸時代より互いに本家争いや販売、訴訟合戦を繰り返し、戦後に友禅の人間国宝山田栄一を鳴海絞りの人間国宝にもしようと運動が行われた際には、有松側から横槍が入ったと言われる。なお、江戸時代にも絞り染めの生産の中心は一貫して有松地域であったが、正式な宿場ではない有松は旅人の停留する所ではなく東海道五十三次の一つであった鳴海宿においても販売を行ったことから、有松絞りも江戸では専ら「鳴海絞り」と呼ばれていた。しかし1984年(昭和59年)に有松・鳴海絞会館が完成し、初代館長の思いを反映し有松に存在する建物ではあるが名称に有松・鳴海を併記することで、本家争い・訴訟合戦に決着が着き、共に協力して行く体制となった。
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