月刊誌『アラキリ』のその後
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「アラキリ」の記事における「月刊誌『アラキリ』のその後」の解説
一方、月刊誌『アラキリ』は1986年まで引き続き発行されていた。アヴァンギャルドを標榜する『ハラキリ』の寄稿者は、不条理のユーモア(ナンセンス文学および不条理の文学における「ナンセンス」)、ブラックユーモアまたは常軌を逸したユーモアを特徴とするアンチコンフォーミズム(反体制順応主義、反体制)の風刺作家・画家らであった。広告やゴシップ誌の猥雑なパロディー、嘲笑的でポルノ的な画や写真を掲載することで読者を確保していた。 ベルニエは子供向け月刊漫画誌『グロダダ (Grodada)』で失敗した後、活動を再開した『シャルリー・エブド』への参加を求められた。しかし、希望したポストに就くことができなかったので辞退し、週刊『アラキリ』を創刊したが、これもまた数週間しか続かず、結局、『アラキリ』のタイトルの著作権を第三者に売却した(直後に、『アラキリ』の破産申立が行われた)。ベルニエはまた、『シャルリー・エブド』のタイトルの著作権についても、著作権者は自分であるとして訴えを起こしていたが、2002年5月、『アラキリ』および『シャルリー・エブド』のタイトルの著作権はフランソワ・カヴァナに帰属するという判決が言い渡された。
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