暴政から追放へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/31 15:41 UTC 版)
「アレクシオス3世アンゲロス」の記事における「暴政から追放へ」の解説
アレクシオス3世は兄以上に無能な皇帝で、それに暴君・暗愚を加えてもいい人物だった。兄の時代から対立関係にあった神聖ローマ皇帝・ハインリヒ6世の圧力に屈して膨大な献納金を要求されると、歴代皇帝の墓所を暴いて装飾品を尽く処分する暴挙を行なった。さらに兄が財政再建のために交易の利害から優遇していたヴェネツィア共和国との関係を冷却化し、かえって敵対していた諸都市を優遇するなどして対外的に多くの敵を作るなど、失政を重ねた。 このため1203年7月、兄の息子で神聖ローマ帝国に亡命していたアレクシオス4世が、第4回十字軍を味方に引き込んで首都コンスタンティノポリスに侵攻してくると、皇位を奪われて追放された。
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