暴漢に資金援助
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:55 UTC 版)
明治25年(1892年)12月11日、伊達宗城の病気見舞いの帰り道で、栄一は馬車で兜橋を渡ろうとするところを2人の暴徒に襲われる。暴徒は刀で馬車の窓ガラスを割ったため、栄一もその破片で左手に軽傷を負った。当時、この襲撃は、東京市水道の鉄管に渋沢が「品質や価格においても外国製に利がある」と海外製品を導入を主張したことで、国内の保守派の反感を買ったためとされる。栄一は自分を襲った暴漢2人を「罪を許したい」と語り、1人の暴漢が明治32年(1899年)に出獄したとき(もう1人は獄中にて死亡)、貧窮し困っていることを聞いて、人を介して資金を援助した。
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