智識寺 (千曲市)とは? わかりやすく解説

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智識寺 (千曲市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/13 15:35 UTC 版)

智識寺

大御堂
所在地 長野県千曲市上山田1197番地
位置 北緯36度27分58秒 東経138度08分26秒 / 北緯36.46603度 東経138.1405度 / 36.46603; 138.1405座標: 北緯36度27分58秒 東経138度08分26秒 / 北緯36.46603度 東経138.1405度 / 36.46603; 138.1405
山号 清源山
宗派 真言宗智山派
本尊 十一面観世音菩薩
創建年 天平12年(740年
正式名 清源山智識寺
文化財 大御堂
木造十一面観音菩薩立像(国の重要文化財)ほか
法人番号 1100005002716
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智識寺(ちしきじ)は、長野県千曲市大字上山田にある真言宗智山派の寺院。山号は清源山。本尊は十一面観世音菩薩

歴史

天平12年(740年)創建とされる古刹で、伝承では大同2年(807年征夷大将軍坂上田村麻呂が堂宇を改修したという。鎌倉時代には鎌倉幕府を開いた源頼朝の信仰も篤く、建久9年(1209年)に七堂伽藍が建立され仁王像が寄進された。室町時代には領主村上氏の庇護をうけ、天文10年(1541年)に廣意によって現在の本堂が再建されるが、村上氏が武田氏に滅ばされると一時衰退した。

天正11年(1583年)に別当寺だった法華寺が屋代氏の命で屋代に移されると、代って智識寺が別当寺となり、慶長14年(1609年)冠着山から現在地に移転した。江戸時代には歴代松代藩主から庇護され、文政年間(1818年 - 1830年)に大御堂の修復をが行なわれた。

伽藍

  • 大御堂
  • 仁王門
  • 寺務所

文化財

重要文化財
  • 大御堂 室町時代後期建立の寄棟造、茅葺の仏堂。妻入(寄棟屋根の三角形に見える側を正面とする)である点が仏堂としては珍しい。明治40年(1907年)に特別保護建造物(現在の重要文化財)に指定された[1]
  • 木造十一面観音立像(本尊) 平安時代後期の仏像で像高306センチメートルの一木造。昭和12年(1937年)重要文化財に指定された[2]
千曲市有形文化財
  • 仁王門 室町時代に建立されたもので木造金剛力士立像(室町時代作)を安置し千曲市有形文化財に指定された。
  • 木造地蔵菩薩立像 享保年間(1716年 - 1736年)に本尊の脇侍として彫刻されたもので、昭和62年(1987年)に千曲市指定有形文化財に指定された。
  • 木造聖観音菩薩立像 平安時代の作と推定され、昭和62年(1987年)に千曲市指定有形文化財に指定された。
  • 木造釈迦如来座像 室町時代後期の作と推定され、こちらも昭和62年(1987年)に千曲市指定有形文化財に指定された。
  • 直径8m高さ2mの古墳時代後期と推定される古墳も存在し昭和62年に千曲市指定史跡となっている。内部構造は明らかになっていないが、伝承によると横穴式石室とみられる。

脚注

  1. ^ 智識寺大御堂”. 八十二文化財団. 2019年9月1日閲覧。
  2. ^ 木造十一面観音立像”. 八十二文化財団. 2019年9月1日閲覧。

参考文献




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