智慶院とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 智慶院の意味・解説 

智慶院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 13:37 UTC 版)

智慶院(ちけんいん)は新潟県長岡市にあった当山派修験道の寺院で明治時代の神仏分離令まで越後長岡藩祈願所である平潟神社(平潟諏訪神社)別当寺

智慶院が平潟神社の別当寺であった由来から、平潟神社の俗称は智慶さまと呼ばれている。また、「長岡市史」刊行当時の社司・桃田氏は智慶院の別当の家であったとしている。また越後長岡藩内の当山派寺院19院の触頭でもあった。

智慶院は院号で寺名は普賢寺であるが、先述の様に院号の方が著名である。山号は不詳。

歴史

当初、平潟神社別当は片岡氏であったが、慶長7年(1602年)に伊賀国の桃田義春が来て別当となる。元和4年(1618年)に牧野氏が越後長岡藩に移封すると、平潟神社はその祈願所となる。寛永年間に宝積院を号し、当山派修験寺院となる。後に智慶院と改称したと推察される。別当桃田氏は長岡藩より苗字帯刀を許可され、扶持米を給される。また藩内の配下19院の触頭となる。

明治以降の智慶院については「長岡市史」や「日本歴史地名大系」には触れられていないが、明治初年の神仏分離令に加えて、明治5年(1872年)に修験道禁止令が発布されているので、廃寺になった可能性が高い。先述のとおり、別当の桃田氏は平潟神社の社司となった。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「智慶院」の関連用語

智慶院のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



智慶院のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの智慶院 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS