是斎屋跡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 08:39 UTC 版)
当地の300 mほど北に天下茶屋公園があり、こちらには寛永年間に近江の津田宗右衛門が開いた薬屋「是斎屋(ぜさいや)」があり、「和中散」という薬を商った。住吉街道に面した店で、薬湯をふるまい、街道の旅人達で大いに繁盛した。芽木家の茶屋より繁盛したともいう。和中散は江戸時代に流行った漢方薬で、本家は近江にあった。 しかし津田家は幕末までに衰微し、この屋敷は橋本尚四郎(元与力で明治以降当地を開発した)の手に渡る。明治元年4月20日と明治10年2月14日の2度、明治天皇が住吉大社への行幸の途中に立ち寄り休憩しており、それに際して仮御休殿が新築され後に「紫雲楼」と名付けられた。大正時代になると屋敷の主は大阪砂糖業界の雄・高津久右衛門に代わり、腐朽ちた紫雲楼を撤去して「明治天皇駐蹕遺趾」という石碑が建立された。この屋敷も大阪大空襲で焼失している。
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