春の星こんなに人が死んだのか
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春 |
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評 言 |
2011年3月11日、東北を未曾有の大震災が襲った。立春を過ぎたとは言え東北はまだまだ厳しい寒さが続く時節、その日の釜石の夜空である。澄みきった空に満天の星。世界中を旅し、タンザニアやネパールで見た星より見事な生涯最高の星だったと作者はいう。 その星空の下には泥にまみれた大量の瓦礫の山、その中には犠牲になられた方々の亡骸も眠っていることだろう。天には美しい満天の星、そして地上には凄まじい惨状の現実が広がっている。呆然と立つ作者の嘆きと怒りが吐き出した一句だ。 作者は、釜石の高校教師。その日受験を控えた生徒の小論文の指導をしていたという。一歩たがえれば犠牲者となりかねなかった作者である。この現実から俳句を作る迄にはしばらく時間が必要だった。やがて「極限状態の中で、私が辛うじて正気を保つことが出来たのは、多分俳句の<虚>のお陰でした」と書いているように、現実を受けとめこの惨状の渦中から強靱な精神力で自然災害への嘆きと怒り、犠牲者への愛と鎮魂の俳句を被災地の現場から発信し続けている。 双子なら同じ死顔桃の花 春の海髪一本も見つからぬ 寒昴たれも誰かのただひとり 照井翠の句集『龍宮』は本年度の俳句四季大賞を受賞した。 このコラムでは三回に亘り震災の俳句を取り上げて行こうと思う。本コラムでは同結社の句は駄目という事だが、震災詠を語るには外せない人である。ご理解をお願いする。 写真提供:Photo by (c)Tomo.Yun |
評 者 |
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備 考 |
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