映画配給と映画保存貸与機関 (Bildstelle)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 06:56 UTC 版)
「ナチスの映画政策」の記事における「映画配給と映画保存貸与機関 (Bildstelle)」の解説
統合の流れは映画配給にも及んだ。ドイツ映画配給有限会社 (Deutsche Filmvertriebs GmbH, DFV) は国有化されたウーファの子会社で、本社はベルリンにあった。1942年には既存の映画配給会社は全て解散した。 映画保存貸与機関 (Bildstelle) というシステムはヴァイマル共和国時代に成立し、Reichsstelle für den Unterrichtsfilm(仮訳「全国教育映画局」)のもとに置かれ、拡大していった。1943年にはドイツ全国に州立のものが37か所設けられ、その下には市立のものが1万2,042か所があった。これと並んでナチ党全国宣伝指導部(ドイツ語版)の配下にも映画保存貸与機関のネットワークが存在し、既に1936年には32大管区、171管区、2万2,357地区に設置されていた。これらの映画保存貸与機関は、多彩な映画作品を取りそろえるとともに16ミリフィルムの可搬型映写機の貸し出しも行っており、学校の教室や夜間の集いで映画上映ができるようになっていた。
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