昔よりをとことをんな小鳥来る
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季 語 |
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秋 |
出 典 |
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前 書 |
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評 言 |
アダムとイブの物語は勿論のこと、この世は男と女で成り立っているのは自明の理ではあります。が、存在としての男女というのではなく、そこから派生する色々な関係こそが、人間としての重要な鍵ともなっていて、ある時は社会を揺るがす大事件ともなり、生きることの哀しみにも繋がって、人々の心を打つのです。「昔より」の言葉に潜む色々の事柄を思うとき、人間の哀歓は尽きないものと思うのです。秋の鳥の渡りに、季節の移ろいを感じつゝ、人間の機微を詠った句として興味深いものです。 「小鳥来る」というと、蕪村の、 小鳥来る音うれしさよ板びさし がすぐに思い出されます。このどこか清澄とも言える心は、あの時代のものであり、蕪村の暮しぶりの中に生れる、素朴ともとれるひそかな楽しみだったのでしょう。板庇などというものが、都会では見られなくなったが、この繊細な感受性は素晴らしく活き活きとしているところに、今も惹かれます。 小檜山さんの句は、小鳥来る季節に味わう包括的な思いながら、人間のあり様を秘めていて、俗な艶っぽさを拒否する力もあって、蕪村の繊細な詠い方とは異なる楽しさがあります。 小檜山さんには「小鳥来る」の句が多く見られ、句集『流水』にも、 針箱のこまごましきや小鳥来る 仮の世に住めばまことや小鳥来る 小鳥来る木の瘤水の渦ひかり 小鳥来る耳遊ばせて羅漢さま 合掌は炎のかたち小鳥来る われも隣の何する人か小鳥来る があり、秋の訪れをいつもひそかに味わっている姿勢を見るのです。 |
評 者 |
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備 考 |
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