明石の方の年齢
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 09:30 UTC 版)
「明石の御方」も参照 「若紫」巻において、明石の方について「けしうはあらず、容貌、心ばせなどはべるなり。代々の国の司など、用意ことにして、さる心ばへ見すなれど、さらにうけひかず。」(悪くはありません、器量や、気立てなども結構だということでございます。代々の国司などが、格別懇ろな態度で、結婚の申し込みをするようですが、全然承知しません。)と良清が語っている。もしもこれを「親の地位や血筋・財産」といった理由ではなく「本人の器量や、気立てなども結構だということ」で求婚されたと解釈すると、この時よりさらに前の「最初の国司が結婚を申し込んだ時点」ですでに一般的な結婚適齢期に達していなければならないと考えられる。ところが「明石」巻には「住吉の神を頼みはじめたてまつりて、この十八年になりはべりぬ。女の童いときなうはべりしより、思ふ心はべりて、年ごとの春秋ごとに、かならずかの御社に参ることなむはべる。」(住吉の神をご祈願申し始めて、ここ十八年になりました。娘がほんの幼少でございました時から、思う子細がございまして、毎年の春秋ごとに、必ずあの住吉の御社に参詣することに致しております。)とあり、この記述は娘(明石の方)が生まれて(またはごく幼い時から)「住吉の神をご祈願申し始めて」18年経ったとする意味の記述であるが、「須磨」「明石」巻の時点で娘が18歳くらいだとすると、「若紫」巻で9歳くらいとなり、良清の話と合わない。これについては、以下のような説がある。 「18年」とは「住吉の神をご祈願申し始め」た年であって明石の方が生まれた年そのものではなく、この時明石の方はすでにそれなりの年齢になっていたとする説 明石の入道は娘と光源氏を結ばせるために娘の年齢について光源氏に嘘をついたのだとする説 もともと整合性のある年立は成り立たないとする説
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