明治初年の札幌村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/26 06:00 UTC 版)
明治3年(1870年)に、開拓使が札幌に本庁を築くにあたり、羽前国、越後国から三百人が移民募集に応じて同行した。このうち柏崎県からの移民22戸、96人が、札幌村の近くに居住した。以後これを札幌新村とし、元の札幌村を札幌元村とした。新村ができたとき、札幌には元の移民の家が23戸、アイヌが3戸あった。同年、開拓事業を開拓使に引き継いだ大友は村から去り故郷へ帰省した。翌明治4年(1871年)に二つの村は合併して札幌村となった。この頃周辺にも多くの村落が作られ、開拓使が札幌村の至近に本庁を移し、村の周辺の開発も進んだ。 開拓使は膝元の農村の充実のため、馬を貸し与えたり、産物を買い上げたりして援助した。札幌村と周辺の村々は、畑作地として発展していった。また、元村街道も開削され交通の便を図った。
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