旧珠洲郡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 14:38 UTC 版)
平安時代に入ると荘園開発が進み12世紀半ばには能登最大級の荘園である摂関家九条家領の若山荘が成立し、事実上の支配権は日野家がその領主になる。荘園内にある法住寺や春日神社を庇護し支配権を確立。鎌倉時代に入ると地頭職も定められるが形骸化し、引き続き日野氏の支配が続く。 1470年(文明2年):松波城着工。1474年(文明6年)に完成。能登畠山3代当主・畠山義統が建設。 三男・義智が松波に入部して自ら松波畠山氏の祖となり以後100年近く同地を領した。 1577年(天正5年):上杉謙信家臣長沢光国に攻略され、6代目当主松波義親は自害し松波城落城する。
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