日章丸 (タンカー・2代)とは? わかりやすく解説

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日章丸 (タンカー・2代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/02 07:54 UTC 版)

日章丸(タンカー・2代)
時事通信社『時事通信 日刊時事解説板』第2235号(1953)より日章丸(2代目)。右上は新田辰夫船長。
基本情報
船種 タンカー/フィッシュミール工船
クラス 日章丸型タンカー
船籍 日本
所有者 出光興産
北洋水産
運用者 出光興産
北洋水産
建造所 播磨造船所
母港 東京港/東京都
姉妹船 なし
航行区域 遠洋
信号符字 JQQV
IMO番号 67881(※船舶番号)
改名 日章丸→廉進丸→鵬洋丸
建造期間 286日
経歴
起工 1951年3月12日
進水 1951年9月16日
竣工 1951年12月22日[1]
最後 1990年以降消息不明
要目
総トン数 11,886トン[2]
載貨重量 19,074トン
垂線間長 163 m[3]
型幅 21.40m
型深さ 11.80m
機関方式 播磨造船所製 スルザーディーゼル機関10SD72型の1号機 1基[4]
推進器 1軸
出力 7,000PS[5]
最大速力 14.82ノット
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日章丸(にっしょうまる)は、出光興産船舶部(現・出光タンカー)が所有・運航していた原油タンカーである。1951年昭和26年)竣工[6]。「日章丸」という名の船舶は、出光興産では1938年竣工の初代から2004年竣工の5代目まで存在するが、本船はそのうち2代目にあたる。

概要

初代「日章丸」の代船として出光興産が計画し発注した。

製造は、播磨造船所(→石川島播磨重工業→IHI→アイ・エイチ・アイ・アムテック→JMUアムテック)。

当時の出光の企業規模からは想像できない大型タンカーであり、石油需要の増大を予測した経営者の出光佐三による思い切った先行投資として、莫大な借金をしてまで造船したという。

1953年(昭和28年)に石油取引のためにイランに派遣され[7]日章丸事件として国際社会で知られていく。この事件を扱った小説『海賊とよばれた男』は、2013年本屋大賞を受賞している[8]

1959年(昭和34年)、北洋水産へ売却され、三菱日本重工横浜造船所にてフイッシュミール工船へ改造されて廉進丸と改名。1964年(昭和39年)、鵬洋丸と再改名[9]。1990年まで操業[10]。以降の消息は不明である。

脚注

関連項目

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