日本青年絵画協会として
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「日本絵画協会」の記事における「日本青年絵画協会として」の解説
まず始めに明治24年(1891年)9月に画塾間の交流を図り、日本画家の川端玉章が川辺御楯らに働きかけ、後進の育成を目的として日本青年絵画協会を設立した。同年10月には岡倉覚三(天心)が会頭に就任している。明治25年(1892年)、第1回日本青年絵画協会主催、青年絵画共進会展開催。明治26年(1893年)の第2回展、明治27年(1894年)の第3回展、明治28年(1895年)の第4回展と回数を重ねるに従って、岡倉秋水、本多天城、高屋肖哲、岡不崩といった狩野芳崖の門下生が影をひそめ、川端玉章による東京美術学校の自然主義的、写生派的な傾向が台頭してきた。
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