日本の旅順要塞
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日露戦争後のポーツマス条約の結果、遼東半島の関東州租借権はロシアから日本に譲渡され、旅順要塞も日本軍の管理下となった。旅順港には引き続き日本海軍の旅順鎮守府が置かれ、1914年には旅順要港部となった。 日本陸軍は関東州駐屯の関東軍を編成し、満州事変までは司令部を旅順に置いた。日本陸軍は旅順要塞の防衛部隊の主力として旅順重砲兵連隊を編成し、太平洋戦争前には旅順要塞重砲兵連隊(通称号:満64部隊)に改称したが、1944年に連隊を廃止した。第一次世界大戦、第二次世界大戦を通じて旅順要塞自体は特段の戦闘を経験することはなかった。ただし、ノモンハン事件に際して、旅順重砲兵連隊の1個中隊(八九式十五糎加農砲2門)を穆稜重砲兵連隊に配属して出動させている。 旅順重砲兵連隊 - 旅順要塞重砲兵連隊に改称。 旅順要塞重砲兵連隊(編成地:旅順)1941年(昭和16年)7月16日編成 - 1944年(昭和19年)10月11日廃止 最終連隊長 - 瀬田善四郎
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