日本における未来派
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/07 15:43 UTC 版)
日本において初めて未来派が紹介されたのは、1909年に「スバル」誌上に掲載された、森鷗外による未来派宣言の翻訳としてであった。その後、1917年のロシア革命を避ける形で「ロシア未来派の父」ダヴィド・ブルリュークらロシア未来派の面々が日本に移住して来て、各地で大規模な展覧会を開くに至って、未来派と言うものが日本でも本格的に知られ始めるようになる。1923年には木下秀一郎とブルリュークの共著による本格的な未来派の紹介書『未来派とは?答へる』(中央美術社)が出版され、美術家や文学者に広く影響を与えた。 日本における主な未来派としては、大正9年(1920年)に未来派美術協会を設立し独自の美術表現をした普門暁(ふもん・ぎょう;1896-1972)などがある。
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