日本と清との関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 06:12 UTC 版)
清朝から独立し、日本の明治維新を模範とした朝鮮の近代化を目指した。1883年には借款交渉のため国王の委任状を持って日本へ渡ったが、交渉は失敗に終わり、1884年4月に帰国。清がベトナムを巡ってフランスと清仏戦争を開始したのを好機と見て、12月には日本公使の竹添進一郎の協力も得て閔氏政権打倒のクーデター(甲申事変)を起こす。事件は清の介入で失敗し、わずか3日間の政権で終了した。 井上角五郎らの助けで日本に亡命する。日本亡命中には岩田秋作と名乗っていた。
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