日明関係前史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 18:42 UTC 版)
1402年、足利義満は京都北山に明使の返礼を受け入れて建文帝の冊封を受諾した。中国で靖難の変が起こったため、1404年に永楽帝が改めて義満のことを「日本国王」として冊封して金印を下賜した。以後1547年までの150年間で19回に及ぶ遣明船(勘合船)が出されて、勘合貿易が交わされた。これは実質的には朝貢であったが、10年1貢 という特異なものであった。義満は冊封儀礼も行っていたとされるが、次の4代将軍足利義持は外交方針を改めて1411年に冊封関係は断絶された。6代将軍足利義教が一時復活させるが、以後も途切れがちで、勘合貿易を独占していた大内氏の滅亡(1551年)によって、日明関係はほぼ断絶した。 詳細は「冊封」および「日明貿易」を参照
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