新広西派への加入
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秀才の家庭に生まれる。蒼梧蚕業学堂を卒業後、1911年(宣統3年)の辛亥革命に柳州で革命派として参加した。1912年(民国元年)2月、桂林陸軍速成学堂に入学し、翌年夏に北京陸軍大学第4期に昇級した。1916年(民国5年)卒業して広西に戻り、旧広西派(旧桂系)のである広西督軍譚浩明の下で軍歴を重ねた。 1921年(民国10年)、旧広西派の指導者陸栄廷の敗北とともに、譚浩明も下野する。黄旭初は孫文(孫中山)が任命した広西省長馬君武の下に転じ、省長公署軍政処総務科長に任ぜられた。その後、陳炯明の叛逆等による混乱を経て、翌年10月に、黄は広西自治軍第2路総司令李宗仁を頼り、その第5旅旅長となった。1923年(民国12年)夏、李が孫文から広西定桂軍総指揮に任ぜられると、黄は参謀長となっている。翌年7月に、李が定桂聯軍総指揮部を創設してその総指揮となると、黄は副参謀長(参謀長:白崇禧)となった。李ら新広西派による広西統一に、黄も貢献している。
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