新広西派へ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/11/30 07:47 UTC 版)
同年10月からの寧漢戦争でも李品仙は唐生智に追従したが、唐は新広西派(新桂系)の李宗仁らに敗北してしまう。李品仙は翌1928年(民国17年)2月、新広西派に帰順し、4月には国民革命軍第4集団軍第12路軍総指揮兼第8軍軍長に任ぜられた。その後、北伐に再び加わり、灤河で直魯聯軍3万を武装解除し、唐山に駐留している。1929年(民国18年)3月、蒋桂戦争が勃発すると、蒋介石が唐生智を再起用する。李品仙も唐の下に戻り、第5路軍副総指揮兼第8軍軍長として再び新広西派と戦う。 しかし同年末に唐生智は再び蒋介石に反旗を翻し、李品仙もこれに従った。翌年1月、唐は敗北し、李も下野して香港に一時逃れている。この年に中原大戦が勃発すると、李は今度は新広西派から招聘され、湖南善後督弁に起用された。中原大戦で新広西派が敗北すると、李は広西に戻り、第4集団軍総司令部参謀長を務めている。以後、南寧軍官学校校長、広西辺防対汛督弁兼左江区行政監督、竜州区民団指揮官などを歴任し、1935年(民国24年)に再び第4集団軍総司令部参謀長に返り咲いた。1936年(民国25年)1月、陸軍中将に昇進し、7月には広西綏靖公署副主任となっている。翌年3月、陸軍上将銜を授与された。
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