斗きょうとは? わかりやすく解説

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と‐きょう【斗×栱/××栱】

読み方:ときょう

木造寺院建築などで、主ににあって、深い軒を支えるしくみ。斗(ます)と肘木(ひじき)とを組み合わせたもので、様式年代によって特徴がある。升組(ますぐ)み。斗組(とぐ)み。組み物


斗栱

(斗きょう から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/16 01:45 UTC 版)

中国山西省佛光寺は、857年唐王朝に建立され、1100年以上の歴史を誇る。現在もなお、唐代の姿をそのまま伝えている。
同じ山西省にある魏晉南北朝時代の「九原崗北朝壁画墓」に描かれた壁画には、当時すでに灰色の瓦、赤い柱・梁・斗栱が用いられ、柱や梁には彩画が施されていたことが分かる。

斗栱(とうきょう)とは、中国に起源を持ち、漢字圏木造建築における構造の一部である。屋根の荷重を支え、柱へと伝える役割を担うとともに、装飾的な要素も兼ね備えている。

日本では斗栱は「組物」の一部とされ、日本の仏教建築を特徴づける要素の1つでもある。

呼称

  • 中国語では、斗拱(ときょう)、斗科(とく)、欂櫨(ぼくろ)、鋪作(ほさく)、蓮花托(れんかたく)、牌科(はいか)などとも称される。
  • 日本語では、『常用漢字表』に従い、「栱」の漢字をひらがなにして「斗きょう[1]」と表記することがある。また、肘木[2](ひじき)や枓栱[3](とうきょう)と表記されることもあり、さらに広い範囲を指して「組物[4]」と呼ばれることもある。
  • 朝鮮語では、「공포栱包、きょうほう)」と呼ばれる。

歴史

起源

現在、斗栱の前身とその発生過程については、主に以下の3つの説がある:

  1. 井干構造(立柱や大梁を用いない建築構造)から派生したとする説。
  2. 挑梁(せり出した梁)から発展したとする説。
  3. 擎檐柱(屋根を支える柱)が斜材へと変化し、それがさらに斗栱へと発展したとする説。

最も古い斗栱の形状は、戦国時代の崖墓や石室、石闕、冥器、壁画などに見られる。これらの斗栱は形状が比較的単純で、主に陶製の十字型部材を交差させて積み重ねたものであり、外観は粗削りで装飾的要素は少なく、主に荷重を支える役割を担っていた。

現存する実物としては、四川省綿陽市梓潼県漢代・石闕に見られる「一斗三升斗栱」、および四川省雅安市後漢・高頤墓闕に見られる「一斗二升斗栱」が挙げられる[5]。この形式の斗栱は後に日本へと伝わり、飛鳥奈良時代法隆寺にその姿を確認することができる[6]

出典

  1. ^ 百科事典マイペディア. “【斗きょう】とは?”. https://kotobank.jp/dictionary/. コトバンク. 2025年2月12日閲覧。
  2. ^ 日本国語大辞典. “肘木(ヒジキ)とは?”. コトバンク. デジタル大辞泉. 2025年2月12日閲覧。
  3. ^ 斗栱/枓栱(ときょう)とは?”. https://www.goo.ne.jp/. goo国語辞書. 2025年2月12日閲覧。
  4. ^ 斗栱組物 – 大阪文化財ナビ”. 2025年2月12日閲覧。
  5. ^ 『中国古建築裝飾・中冊』7頁,434頁,435頁。伊東忠太著。
  6. ^ 『中国古建築裝飾・中冊』 701頁。伊東忠太著。


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