文芸における岩成友通
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/27 07:11 UTC 版)
慶応3年(1867年)、落合芳幾によって描かれた『太平記英雄伝』という書物に岩成友通が描かれている。この作品は、戦国時代に活躍した武将達を題材にした作品である。将軍・義輝を三好政康や松永久秀と共に殺害し、信長に降伏した後、再度蜂起し細川藤孝に討たれたなどのことが紹介文として浮世絵に添付されているが、居城が「青竜寺城」になっていたり、討ち取った武者が「津川権平」という名前になっていたりと誤謬が多い。また、名前も「岩成左道」(いわなりすけみち)と表記されている。 しかしながら、三好三人衆を題材とした絵画は非常に貴重である。この浮世絵における友通は荒々しい髭を蓄え、敵を組み伏せている武者として描かれており、これは作者のイメージに過ぎないものの、江戸時代末期における岩成友通に対する世間のイメージが反映されていると評されている。
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