文室海田麻呂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/12 09:44 UTC 版)
Jump to navigation Jump to search時代 | 平安時代初期 |
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生誕 | 延暦9年(790年) |
死没 | 天安2年1月24日(858年2月11日) |
官位 | 従五位上・石見守 |
主君 | 嵯峨天皇→淳和天皇→仁明天皇→文徳天皇 |
氏族 | 文室氏 |
父母 | 父:三諸大原 |
兄弟 | 綿麻呂、正嗣、名嗣、秋津、海田麻呂、宮田麻呂 |
文室 海田麻呂(ふんや の うみたまろ)は、平安時代初期の貴族。備前守・三諸大原の五男。官位は従五位上・石見守。
経歴
弘仁年間に校書殿として出仕を始め、嵯峨朝では常陸大掾・主水正を歴任する。淳和朝では左馬大允・民部大丞を歴任し[1]、天長8年(831年)に従五位下・紀伊守に叙任される。
仁明朝では、伊予介・弾正少弼・石見守を歴任し[1]、この間の承和13年(846年)には従五位上に叙されている。
文徳朝末の天安2年(858年)正月24日卒去。享年69。最終官位は散位従五位上。[1]
官歴
『六国史』による。
- 弘仁年間:校書殿。常陸大掾。主水正
- 天長年間:左馬大允。民部大丞
- 時期不詳:正六位上
- 天長8年(831年) 正月4日:従五位下。日付不詳:紀伊守
- 時期不詳:伊予介
- 承和12年(845年) 3月5日:弾正少弼
- 承和13年(846年) 正月7日:従五位上
- 嘉祥2年(849年) 2月27日:石見守
脚注
参考文献
- 文室海田麻呂のページへのリンク