散在神人の活躍
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 15:21 UTC 版)
中世商人の標準的な販売形態は小売であったが、大山崎油座は各地への卸売をしていた形跡が見られる。大山崎で製油された後、各地に散在する「八幡宮神人」に流通・販売したものである。 大山崎油座が幕府の優遇を受ける中で、諸国商人の中には大山崎神人の支配下に入って商売を行う者もおり、また特権を利用して大山崎から各地に赴任して仕入れや商売を行う神人も現れたことで、畿内のみならず広範囲に「大山崎神人」が散在することになった。京都内には前述のように「大山崎住京神人」と称する神人が早くも鎌倉時代から現れ始めている。鎌倉時代末期から南北朝の混乱期には記録がないため詳細は不明であるが、貞治2年(1363年)にはその存在が知られ、油の専売権を行使して他商人を駆逐しただけではなく、紺紫や酒麹などの販売にも従事するなど、各地に散在した大山崎神人の中でも最も重要な存在であった。 また近江では「大山崎方近江国神人」などと称し、新加神人として、日使頭役を務めたり、500貫程度の貢納物を納めるなどの負担と引き替えに、当地での営業を認められる例もあった。これら散在神人に対して本家大山崎の神人は「本所神人」と称し、本所神人が各地に下向した時には、荏胡麻購入優先権・諸関料の免除などの特権を行使した。これらは幕府の下知状に従う各国守護によって保障された。
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