教会組織上の帰属
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 15:39 UTC 版)
「バート・エントバッハ」の記事における「教会組織上の帰属」の解説
宗教改革以前、この町をトリーア司教区とマインツ司教区との境界が通っていた。1350年以前、エントバッハとギュンテロートはヴェッツラー首席司祭区ディートキルヒェン・アン・デア・ラーン助祭長区に属しており、したがってトリーア司教区に含まれた。すなわち、両地区はゾルムス伯領の一部であった。ハルテンロート教区はグラーデンバッハの本教会であるマインツの聖シュテファン助祭長区に属し、したがってマインツ司教区に含まれた。この境界は、ギュンテロートとハルテンロート、エントバッハとハルテンロート、エントバッハとヴォンメルスハウゼンとの境界を形成していた。 ギュンテロートが併合されたことで、遅くとも1367年からは、現在の町域全体がハルテンロート教区に属すこととなった。最初に名前が知られているハルテンロートの司祭はペーター・フォン・ブーヒェナウである。グラーデンバッハ司祭区の分裂がその数年前に起こっている。おそらくナッサウ公領との境界である西の国境が定められた1352年以降である。これ以後、ハルテンロート教区と行政区分であるアムト・ブランケンシュタインのオーバーゲリヒト管区とは完全に一致することとなった。
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