放漫経営により破産
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/10 04:26 UTC 版)
資本家として事業を拡大してゆくが、売上が見込より伸びず、仕入金の都合が滞るようになると、売上が低下。商品の補給が出来ず、昭和30年(1955年)12月、経営破綻。単身で失踪し札幌のすすき野で、密かに一杯吞みの屋台を出す準備をする最中、満洲時代の同僚が東京で羽根布団会社を設立して成功した話を聞く。そこで、出資者を募り4人で布団販売会社を設立し、専務取締役に就任した。ところが、代表取締役の人物に経営手腕がなく、賢治が社長に就任するが、業績が伸びず解任される。借金は膨らみ経済的に自立困難となり、昭和33年(1958年)夏、静狩の店舗を処分して札幌に移住し再起を図る。
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