捕虜女性たちのその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/11 01:30 UTC 版)
『南征録匯』によると、宋の女性たち、とりわけ皇女・妃など皇宮の女性たちは、金額を付けられて金の戦争報酬とされた。その屈辱のためか、正史には記載は少ないが、それをはかなんだ南宋の確庵が『靖康稗史箋証』を編纂し、その後の彼女らの辿った運命と末路について詳細な記録を残している。この文献の大部分は、彼が自ら見聞きした一次記録、および南宋、金の別々の人物による同種の資料を集め、互いにつき合わせて検証したもので、史料価値が高い。
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