指田吾一とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 指田吾一の意味・解説 

指田吾一

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 07:07 UTC 版)

指田 吾一(さしだ ごいち、1909年明治42年)[1][2] - 1969年昭和44年)3月24日[2])は、日本の医師政治家東京都田無市(現在の西東京市を務めた(2期)。

来歴

熊本県宇土市出身。日本医科大学を卒業した[1]。戦時中は軍医として活動する[1]1945年広島で原子爆弾により被爆する[1]。この時の被爆体験を記録し、後日『原爆日記』として出版した[1]1953年12月、東京都北多摩郡田無町で開業する[3]1962年、田無町長に就任した[1]。田無町は東京のベッドタウンとして人口が急増し、町長2期目の1967年に田無町は市制施行した。教育施設の整備のほか、急増する人口にともない、ゴミや屎尿の処理が大きな問題となり、市内に屎尿処理場を建設することを決定した。処理場予定地周辺の住民からの反対があったが、指田は市長として住民に対し粘り強い説得を続けたため、建設にこぎつけることができた。市長在任中の1969年に脳出血のため死去した。

脚注

  1. ^ a b c d e f 『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1001頁。
  2. ^ a b 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年、146頁。
  3. ^ 当院の紹介”. 医療法人社団 吾勢会 指田医院. 2025年4月26日閲覧。

参考文献

  • 歴代知事編纂会編『日本の歴代市長』第1巻、歴代知事編纂会、1983年。
  • 『全国歴代知事・市長総覧』日外アソシエーツ、2022年。

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  指田吾一のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「指田吾一」の関連用語

指田吾一のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



指田吾一のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの指田吾一 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS