投降、拘束と処刑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/08 01:07 UTC 版)
「フレッド・ホックレー」の記事における「投降、拘束と処刑」の解説
詳細は「一宮町事件」を参照 ホックレーは、地元の警防団員や駐屯していた兵士により捕縛され、東村国民学校(現・長南町立東小学校)に連行された。ホックレーの身柄は東村に駐屯していた軍の教育隊に預けられ、教育隊が歩兵426連隊に報告すると、連隊側は土睦村(現・睦沢町)岩井にあった連隊本部まで連行するよう伝え、玉音放送後の午後2時頃に岩井の連隊本部に到着する。このあとホックレーは一宮町の連隊本部に移送され、夜に近くの山中で歩兵426連隊の将校(大尉)によって殺害された。 ホックレーの遺体は終戦後にひそかに掘り起こされて荼毘に付された。遺骨はのちに横浜市の英連邦戦死者墓地に改葬されている。
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