投馬国の所在地
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 03:10 UTC 版)
帯方郡から投馬国までの行程について、『魏志倭人伝』や『北史倭国伝』には、次のように記述されている。 魏志倭人伝(原文)魏志倭人伝(訳注) 北史倭国伝(原文)倭人在帯方東南、大海中。 倭人は帯方の東南、大海の中にあり。 倭國在百濟、新羅東南、水陸三千里。 從郡至倭、循海岸水行、歴韓國、乍南乍東、到其北岸狗邪韓國、七千餘里。 郡より倭に至るには、海岸に循って水行し、韓国を経て、乍(あるい)は南し、乍(あるい)は東し、その北岸狗邪韓国に到る七千餘里。 計從帶方至倭國、循海水行、歴朝鮮國、乍南乍東、七千餘里。 始度一海、千餘里至對海國。 始めて一海を度る千余里。対馬国に至る。 始度一海。又南千餘里。 又南渡一海千餘里、名曰瀚海、至一大國。 また南一海を渡る千余里、名づけて瀚海という。一大国に至る。 度一海、闊千餘里、名瀚海、至一支國。 又渡一海、千餘里至末盧國。 また一海を渡る千余里、末盧国に至る。 又度一海千餘里、名末盧國。 東南陸行五百里、到伊都國。 東南陸行五百里にして伊都国に到る。 又東南陸行五百里、至伊都國。 東南至奴國百里。 東南奴国に至る百里。 又東南百里、至奴國。 東行至不彌國百里。 東行不弥国に至る百里。 又東行百里、至不彌國。 南至投馬國、水行二十日。 南、投馬国に至る水行二十日。 又南水行二十日、至投馬國。
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