成田勝社長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/20 15:54 UTC 版)
「マハラジャ (ディスコ)」の記事における「成田勝社長」の解説
平尾昌晃プロデュースによるNOVA21グループの六本木ライブハウス「スパッツ」で優秀マネージャーだった成田勝が、東京へ進出予定のマハラジャ社長を菅野諒より任命される。六本木界隈で物件を探していたが、理想の坪数(200坪前後)は麻布十番にしかなかった。当時陸の孤島だった麻布十番へのマハラジャ出店に誰もが反対したが、先にオープンしていた熊本マハラジャを視察した成田勝は東京出店での成功を確信する。 そして「MAHARAJA TOKYO」等、東京地区マハラジャを運営する有限会社エヌ・エンタープライズ社長の成田勝が、全国マハラジャのイメージリーダーとなり、1986年には歌手としてメジャーデビューも果たした。 イタリアのユーロビートの雄、マイケル・フォーチュナティの大ヒット曲「INTO THE NIGHT」「GIVE ME UP」やデッド・オア・アライヴの大ヒット曲「TURN AROUND AND COUNT 2 TEN」等をカバーし、オリコンでも30位台に入るなどヒットした他、マハラジャ系列のディスコでプレイされ盛り上がった。 その後も「MAHARAJA TOKYO」よりもカジュアル路線を狙った「MAHARAJA WEST TOKYO」、「MAHARAJA EAST TOKYO」、「King&Queen TOKYO "AOYAMA"(青山キング&クイーン)」、「King&Queen KAWASAKI(川崎キング&クイーン)」、「EDEN ROC TOKYO BAY」(東京ディズニーリゾート内に存在)、「ROYALTON TOKYO BAY」を次々に手掛け、1980年代を象徴する青年実業家といわれた。 現在は「MAHARAJA EAST」の跡地にあるレストランバー「Prego」を経営している他、各種アドバイザーとしても活躍している。 なお、全国マハラジャの社長は成田勝と思われがちだが、実際は東京地区マハラジャのみの社長であり、マハラジャ全店の社長ではない(マハラジャは地域や店舗により運営会社が異なり各社長が存在)。しかしマハラジャを全国的に有名にしたのは成田勝の功績である。
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