慕輿根を誅殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/21 06:24 UTC 版)
360年1月、慕容儁が亡くなる直前、皇甫真は慕容恪らと共に後事を託され、慕容暐の輔政を命じられた。2月、慕容暐が即位すると、侍中・秘書監に任じられた。 同月、太師慕輿根は朝廷を混乱させて自らが政権を掌握しようと目論んだ。皇甫真はこれを事前に察知し、慕容恪へ「根(慕輿根)という男は、根はもともと凡庸な者に過ぎないのに、先帝の厚恩を賜って今の地位まで引き立てられたのです。しかしその本性は見識のない小人のままであり、それが先帝の崩御以来日に日にひどくなっております。このままでは大乱へ至ります。明公(慕容恪)は周公のごとき地位にあるからには、社稷を考えて速やかにこれを除くべきでしょう」と進言した。しかし、慕容恪はその確証が取れない事と、まだ慕容暐が即位して間もないうちに重臣を誅殺する事による国内の混乱を憂慮して、これに従わなかった。その後、慕輿根の計画が露見すると、皇甫真は護軍傅顔と共に彼を捕らえて乱を収めた。慕輿根が誅殺されると、慕容恪は皇甫真へ「汝の建議に従わなかったせいで、もう少しで禍敗を引き起こすところであった」と述べ、忠告に従わなかった事を謝罪した。
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