惑星探査計画の黎明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 09:03 UTC 版)
「PLANET計画」の記事における「惑星探査計画の黎明」の解説
日本における惑星探査の構想は1971年に始まる。宇宙科学研究所の前身である東京大学宇宙航空研究所で行われた「月・惑星シンポジウム」において長友信人の「大気改造の技術的可能性を考慮した金星観測計画について」や松尾弘毅の「Μロケットによる月・惑星ミッションの可能性について」が発表され、1972年の同シンポジウムでは連名で「スペースシャトル・ペイロードを利用した金星大気圏の観測計画」、「太陽帆推進による太陽接近観測の可能性について」が発表されている。この時期には金星周回探査機や金星大気球、小惑星・彗星サンプルリターン等が考案されたが、どれも十分な検討を経ているとは言い難く、また当時利用可能であったM-4Sロケットの打ち上げ能力が、惑星探査を行うにはあまりに非力であったこともあり、具体化には至らなかった。
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