悪戯の首謀者たち
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/25 15:04 UTC 版)
「偽エチオピア皇帝事件」の記事における「悪戯の首謀者たち」の解説
首謀者のコールは1881年にアイルランドの裕福な家庭に生まれた。第二次ボーア戦争に従軍したが、重傷を負い除隊した。帰国後はケンブリッジ大学トリニティ・カレッジの学生となったが、勉強はほとんどせず、当時から様々な悪戯をしかけて周囲を楽しませていた。 エイドリアン・スティーヴンは、トリニティ・カレッジでのコールの親友の1人だった。コールの伝記を執筆したマーティン・ダウナーは、スティーヴンについて「〔コール〕にとっての完璧な引き立て役だった。思いやりがあって場の雰囲気を盛り上げる性格でありながら、コールを仲間に引き入れることも平気なのだった」と書いている。彼の父親は作家・批評家のレズリー・スティーヴン、母のジュリアは慈善家でありラファエル前派のモデルをしていた。兄のトービーもトリニティ・カレッジに在学しており、姉のヴァネッサ(後のヴァネッサ・ベル)とヴァージニア(後のヴァージニア・ウルフ)も大学をしばしば訪れていた。スティーヴン家の4人は、トリニティ・カレッジを中心とした作家、知識人、哲学者、芸術家の集まりであるブルームズベリー・グループのメンバーだった。コールは、ブルームズベリー・グループのメンバーとの交流はあったが自身はメンバーではなかった。
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