恵那郡役所と郡会
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明治11年(1878年)7月22日 - 帝国議会において地方三新法の一つである郡区町村編制法が制定され大区小区制を廃止して各町村を独立させることが決まった。岐阜県は明治12年(1879年)2月18日に大区小区制を廃止して町村を独立させて新たに郡治分割を通達し、旧来からの郡の名称を踏襲して郡役所の位置を指定し、郡村行政区域を明らかにして郡長を選任した。明治12年2月25日に山村良貴が初代恵那郡長に任ぜられるとともに、中山道大井宿の旧本陣に恵那郡役所の仮庁舎が設けられたが、2年後の明治14年(1881年)1月15日に中津川村に移転した。 明治30年(1897年)8月1日、郡制が施行され、8月25日に郡会議員選挙が行われ、各町村選出議員20名、大地主議員5名、総数25名であった。9月16日に第一回目の郡会が招集され法律の定めるところによって役員の選挙を行い、恵那郡会が成立し、郡の自治制が完備した。 明治32年(1899年)3月に郡制の一部改正が行われた。 大正12年(1923年)4月1日、郡会が廃止されるが、郡役所は存続。 大正15年(1926年)7月1日、郡役所が廃止となる。
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