御船氏主
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/03 08:27 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動御船 氏主(みふね の うじぬし)は、平安時代初期の貴族・儒学者。姓は宿禰。官位は従五位上・大学博士。
経歴
大学博士として、延暦19年(800年)生まれの滋善宗人の若い頃に三礼(『儀礼』『周礼』『礼記』)を教授したとされることから[1]、弘仁から天長年間(820-830年代)頃には既に大学博士の任にあったか。天長8年(831年)外従五位下に叙せられる。
仁明朝に入り、天長10年(833年)本拠地を河内国から平安京の右京六条に改める。その後、引き続き大学博士を務める一方で、承和元年(834年)従五位下、承和8年(841年)従五位上に叙せられている。あるとき、経学を深く尊んでいた仁明天皇に召されて、助教・苅田種継と経義について議論した際、氏主は礼を執り、種継は伝を挙げ、激しい議論の末、決着がつかなかったとの逸話がある[2]。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上。大学博士
- 天長8年(831年) 正月4日:外従五位下
- 天長10年(833年) 8月17日:本居貫附右京六条
- 承和元年(834年) 正月7日:従五位下
- 承和8年(841年) 11月20日:従五位上
- 承和10年(843年) 6月28日:兼越中守、大学博士如元
脚注
参考文献
- 御船氏主のページへのリンク