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建部仁彦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/20 00:45 UTC 版)

建部 仁彦(たけべ まさひこ、1911年(明治44年)10月8日 - )は日本の建設官僚、実業家。父は社会学者建部遯吾[1]

略歴

[1]  新潟県中蒲原郡横越村横越出身  東京帝国大学卒  1936年 北海道庁に入庁。 1937年 大蔵省、 1942年 陸軍省、 1944年大蔵省に出向。 終戦を経て、1947年 経済安定本部1950年 建設省に出向。1962年 建設省 営繕局長に就任。 1964年 住宅金融公庫 理事に就任。退官後は、1967年 三井建設㈱ 常務取締役に就任。 1973年 三井建設㈱ 顧問に就任。また同時に 三井プレコン㈱ 顧問、資生堂開発㈱ 取締役を兼務。

建設省営繕局長時代、1964年東京オリンピック開催に向けて国立代々木競技場の建設に係る 当時の参議院オリンピック準備促進特別委員会[2] の議場において政府委員として出席答弁した。 ワシントンハイツ (在日米軍施設)跡地の土質調査に関連する水位調査の追加などがあり、当初の建築費予算 20億円相当に対する 電気・機械・その他土木工事費を含めた設計費の見積額 25億円の提示を受け、敷地の削減、資材費の時価見直し再検討を経ることで設計額の減額を促し、最終的に建築施工費の入札額を17億5000万円に導いたとされる。

著書

  • 『公共建築 第1巻 第1号』⽇刊建設通信社,1958 [3]
  • 『建築工事データブック』森北出版 ㈱,1966 [4]

脚注

参考⽂献

  • 新潟日報事業社出版部 丸山昌夫『新潟県人名鑑』新潟日報事業社、1980年7月1日。 

[1]

  • 参議院オリンピック準備促進特別委員会『第43回国会 参議院オリンピック準備促進特別委員会会議録第五号』参議院オリンピック準備促進特別委員会、1977年11月13日。 

[2]

  • 著者 ⽂ : 桜井良雄、江⽥正光、⻑⾕川⼤、建部仁彦、今和次郎、近藤芳美、⽥中誠、⽵⼭謙三郎、川合貞夫、川添登『都市計画と官公庁施設 建部仁彦』⽇刊建設通信社、1977年11月13日。 

[3]

  • 監修 : 大成建設㈱取締役原子力技術開発室部長 工博 平賀健一(監修)(元)鹿島建設㈱取締役原子力技術開発室部長 工博 野平正(監修)セントラルコンサルタント 工博 谷藤正三(監修)(元)住宅金融公庫理事 建部仁彦(監修)(元)日建設備㈱専務取締役 橋本一夫(監修)『『建築工事データブック』建部 仁彦』森北出版 ㈱、1977年11月13日。 

[4]

  1. ^ [1]新潟県人名鑑 1980版
  2. ^ [2]会議録第五号
  3. ^ [3]公共建築 第1巻 第1号
  4. ^ [4]建築工事データブック



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