廃止バス転換、無軌道への転換、存続(1946年(昭和21年)末頃)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/17 07:19 UTC 版)
「函館市企業局交通部」の記事における「廃止バス転換、無軌道への転換、存続(1946年(昭和21年)末頃)」の解説
廃止とバス転換はボギー車1両に対しバス2両が必要で人件費がかかる。当時の函館は舗装が遅れていて、バス車両の耐用年数に問題があった。無軌道(トロリーバス)への転換は単車ぐらいの大きさしか出来ず、モーターの出力が小さく積雪地には不向きであった。また、東部地区に繁華街が出来ると予測し、そうであるなら五稜郭公園前が中心になると見て、そちらの方面の輸送力増強をしながら存続することになった。
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