幸堂得知とは? わかりやすく解説

こうどう‐とくち〔カウダウ‐〕【幸堂得知】

読み方:こうどうとくち

[1843〜1913]劇評家小説家江戸生まれ本名鈴木利平別号、劇神仙銀行員経て新聞社入社し劇評発表根岸派文人として知られる小説大通世界」。


幸堂得知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/19 08:35 UTC 版)

幸堂 得知(こうどう とくち、本名:高橋利平、天保14年(1843年1月 - 大正2年(1913年3月22日)は、明治時代文人黄表紙の流れを汲む軽妙な滑稽味が持ち味の作家。「江戸通人の風格」[1]を持つ演劇通で、多くの劇評を新聞紙上などで発表した。饗庭篁村らと親しく、根岸派の1人と目された。

生涯

  • 1843年(天保14年)、江戸下谷車坂町(現在の上野駅付近)に生まれる。父は青物商鹿嶋屋の高橋彌平で、高橋夢叟として『上野公園沿革史』の著者でもある。
  • 1869年(明治2年)、三井両替店(のちの三井銀行)に入社。
  • 1870年、上司の鈴木利平の養子となる。
  • 1878年以降、時折、文章を読売新聞紙上で発表するようになる。
  • 1888年、三井銀行を退職。
  • 1889年以降、本格的に文筆で身を立てるようになる。
  • 1891年、東京朝日新聞に入社。
  • 1892年より「歌舞伎新報」編集に携わる。
  • 1913年(大正2年)、死去。墓所は谷中金嶺寺にあったが、無縁仏となったため合葬されている。

  1. ^ 越塚和夫編の年譜



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