幸地宗廣とは? わかりやすく解説

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幸地宗廣

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/13 23:36 UTC 版)

幸地 宗廣(こうち そうこう、1567年 - 1632年)は琉球王国第二尚氏王統の人。泊里主宗重を元祖とする呉氏大宗家(呉氏我那覇家)の五世で唐名は呉國卿[1]

概要

万暦年間、黄冠に叙せられ、佐敷間切地頭職に任ぜられる。

万暦21年(1593年)、豊見城間切我那覇地頭職に転任。御物城職、那覇里主職を歴任。

天啓2年(1622年)、上意により首里の居を移す。崇禎2年(1630年)三司管座敷に叙せられる[2]

系譜

呉氏四世我那覇親方宗昌の次男として生まれる。

  • 父:呉天澤・我那覇親方宗昌
  • 母:封氏我那覇親方助元の娘・乙益美
    • 兄(長男):呉国承・座間味親方宗時(別有家譜)
    • 姉(長女):乙益金(麻氏儀保里之子良行に嫁す)
  • 室:思乙(安谷屋女、号は梅室)
    • 長男:呉郡尹・我那覇親雲上宗知(1589〜1651年)(室は敖氏嶋尻中城親雲上将兼女思乙金)
    • 長女:眞南風按司・乙美金(号は蘭室、1631年尚豊王夫人)(萬暦20年(1592年)〜順治15年(1658年)、墓は末吉墓)
    • 次女:眞鶴(萬暦23年生まれ、解氏本部里之子親雲上宗常に嫁す)
    • 三女:眞牛(萬暦25年〜康煕16年)
    • 四女:乙益金(萬暦25年生まれ、兪氏幸地東風平親雲上重昌に嫁す)
    • 次男:呉明倫・幸地親雲上宗冨(継出・姉である真南風按司の跡目)

参考文献

  1. ^ 呉姓家譜(我那覇家)アーカイブされたコピー”. 2013年12月24日時点のオリジナルよりアーカイブ。2013年5月7日閲覧。
  2. ^ 沖縄門中大辞典・那覇出版社



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