平業兼とは? わかりやすく解説

平業兼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/27 02:28 UTC 版)

 
平業兼
時代 平安時代末期 - 鎌倉時代初期
生誕 不明
死没 不明
改名 業隆→業兼→尋蓮(法名
官位 従三位治部卿
主君 後鳥羽天皇土御門天皇
氏族 桓武平氏維衡流(伊勢平氏
父母 父:平業房、母:高階栄子
兄弟 業兼教成
業光
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平 業兼(たいら の なりかね)は、平安時代末期から鎌倉時代初期にかけての公卿桓武平氏維衡流(伊勢平氏)、左衛門佐平業房の長男。官位従三位治部卿

生涯

父・業房は後白河法皇近臣で、治承3年(1179年)に発生した治承三年の政変伊豆国に流されるが、逃亡を試みたため平氏政権によって処刑された。その後、母・高階栄子は後白河法皇に仕え晩年の寵妃となる(丹後局)。

大膳亮を経て、後白河院政期後期の文治元年(1185年従五位下美濃守に叙任されると、文治2年(1186年)従五位上・民部権大輔、文治5年(1189年正五位下建久3年(1192年従四位下、建久6年(1195年)従四位上、建久9年(1198年正四位下と、母・丹後局の権勢を背景に異例の昇進を重ねた。

院政を開始した後鳥羽上皇が政治的な主導権を強めていくにつれ、丹後局の威信は低下していくが、業兼は同年治部卿に任ぜられ、元久2年(1205年従三位に叙せられ、公卿に列した。

承元3年(1209年)正月、子息の業光を侍従任官させるために業兼は治部卿を辞し、同年5月13日に出家した。

官歴

『公卿補任』による。

系譜





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