幣原内閣内の勢力変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 16:48 UTC 版)
「GHQ草案手交時の脅迫問題」の記事における「幣原内閣内の勢力変化」の解説
1946年1月25日のマッカーサーの決意が日本側にもたらされたのは、同年3月20日の事であり、2・13会談当時及びその後、松本が「想像」を働かせたのは無理からぬところがある。しかし松本は、自分は憲法改正の王道を歩んでいるつもりでいたが、実はいつの間にか、憲法改正の抵抗勢力になってしまっており、しかもそのことを知らなかった。幣原内閣は当初、松本案を支持する閣僚とGHQ草案を支持する閣僚とで五分五分であり、吉田外務大臣は松本案支持派の筆頭であった。しかし、1946年2月21日の幣原=マッカーサー会談、翌22日の吉田、松本、白洲とホイットニー、ケーディスらとの会談以降、流れは変わってくる。22日の会談は、同日の閣議においてGHQ草案に沿って憲法改正を考えることに方向が決まったことを受け、作業を進めるに当たり「考慮される問題点に関し、主として法律的見地から意見の交換を行った会談」であった。同時に、松本案の支持を得ようとする最後の試みでもあった。
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