川村徳久とは? わかりやすく解説

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川村徳久

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/04/26 11:05 UTC 版)

川村 徳久
基本情報
国籍 日本
出身地 兵庫県
生年月日 1911年4月25日
没年月日 1944年
身長
体重
165[1] cm
64[1] kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手三塁手遊撃手[2]
プロ入り 1936年
初出場 1936年4月29日[3]
最終出場 1937年
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

川村 徳久(かわむら とくひさ、1911年4月25日[1] - 1944年[4])は、兵庫県[5]出身のプロ野球選手二塁手三塁手遊撃手)。妻は宝塚歌劇団18期生の秦都美子[4]

来歴・人物

甲陽中学校(現・甲陽学院中学校・高等学校)時代には春1回(1928年),夏1回(1928年)甲子園に出場し、遊撃手として両大会とも母校のベスト8に大きく貢献した。その後、立命館大学ノンプロの森下商店でプレーをした。

1936年春、阪急軍の結成に参加[5]。他の結成メンバーには、監督の三宅大輔を始め、宮武三郎山下実山田勝三郎島本義文石田光彦がいる(結成メンバーはこの6人+川村の僅か7名しかいなく、当初阪急軍の職業野球連盟入りが危ぶまれていた)[6]。甲陽中、立命館大時代から鳴らした堅実な守備で、初期の阪急軍を支えた。また選球眼も良く、通算成績で四球の数が三振を上回っている。しかし、打撃は全くの非力で、1936年秋シーズンに記録した打率.120は、規定打席到達者の中では最下位(59位)であった。

1937年秋季シーズン終了後、応召。その後、戦死した(1944年に亡くなったと言われている[4]が、正確な没年日時・死没場所は不明)。数え34歳没。

東京ドーム敷地内にある、鎮魂の碑には彼の名が刻まれている。

詳細情報

年度別打撃成績

















































O
P
S
1936春夏 阪急 18 71 57 10 12 1 0 0 13 6 3 -- 2 -- 12 -- 0 8 -- .211 .348 .228 .576
1936 30 108 92 11 11 4 0 0 15 4 2 -- 4 -- 12 -- 0 7 -- .120 .221 .163 .384
1937 27 78 67 3 8 0 0 0 8 5 3 -- 4 -- 7 -- 0 9 -- .119 .203 .119 .322
1937 4 2 2 1 0 0 0 0 0 0 0 -- 0 -- 0 -- 0 0 -- .000 .000 .000 .000
通算:2年 79 259 218 25 31 5 0 0 36 15 8 -- 10 -- 31 -- 0 24 -- .142 .249 .165 .414
  • 各年度の太字はリーグ最高

背番号

  • 4(1936年 - 1937年)[7]

脚注

  1. ^ a b c 川村 徳久(阪急)”. 個人年度別成績|NPB.jp. 日本野球機構. 2025年4月25日閲覧。
  2. ^ ---川村徳久---”. ---わたしはかもめ---. 2016年3月4日時点のオリジナルよりアーカイブ。2025年4月25日閲覧。[信頼性要検証]
  3. ^ 1936年春 阪急スタメンアーカイブス[信頼性要検証]
  4. ^ a b c タカラヅカ☆キラキラ人脈(昭和元年〜5年)[信頼性要検証]
  5. ^ a b プロ野球人名事典 2003(2003年、日外アソシエーツ)、176ページ
  6. ^ 『忘れられた名投手: 北井正雄と野球のぼせモンたち』高井正秀 文芸社・2000年刊行-57ページ
  7. ^ 川村徳久の通算記録[信頼性要検証]

関連項目

外部リンク




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