峨山韶磧とは? わかりやすく解説

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峨山韶磧

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/04 02:43 UTC 版)

峨山韶碩(がさん じょうせき、建治元年(1275年)- 正平21年/貞治5年10月20日1366年11月23日))は、鎌倉時代後期から南北朝時代にかけての曹洞宗の僧。能登国の出身。總持寺第2世。大現宗猷國師。


注釈

  1. ^ 「峨山二十五哲」とは、無底良韶、太源宗真、順正、無蔵浄韶、無際純証、浄智、太山如元、暁心、普天暁雲、無外円照、通幻寂霊、無等恵崇、月泉良印、無極尊祐、無端祖環、道叟道愛、源翁心昭、祖山良崇、大徹宗令、大方韶勲、実峰良秀、良覚、竹堂了源、竺源超西、祖一阿岸の25名。
  2. ^ これは道元没後110年のことであった。承陽殿前の石碑にはこのときの峨山の思いが刻まれており、「峨山石」と呼ばれている。

出典

  1. ^ a b c d e f g h i j 「峨山韶碩禅師の生涯」(曹洞宗大本山總持寺)


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