岩倉城 (尾張国)とは? わかりやすく解説

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岩倉城 (尾張国)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/02 04:03 UTC 版)

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岩倉城
愛知県
岩倉城跡
城郭構造 平城
天守構造 なし
築城主 織田敏広織田信安?)
築城年 文明11年(1479年)ごろ
主な城主 織田敏広、寛広、信安、信賢
廃城年 永禄2年(1559年
遺構 堀址、石碑
指定文化財 岩倉市指定史跡
位置 北緯35度16分30.8秒 東経136度52分38.16秒 / 北緯35.275222度 東経136.8772667度 / 35.275222; 136.8772667座標: 北緯35度16分30.8秒 東経136度52分38.16秒 / 北緯35.275222度 東経136.8772667度 / 35.275222; 136.8772667
地図
岩倉城
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岩倉城(いわくらじょう)は、尾張国丹羽郡岩倉(現愛知県岩倉市下本町)にあった日本の城。岩倉市指定史跡[1]

概要

文明11年(1479年)頃、「織田伊勢守家」当主の織田敏広(または織田信安の代とも)によって築城されたといわれる。

この城を拠点として「織田伊勢守家」(岩倉織田氏)は尾張上四郡を支配し、尾張守護所が置かれた清洲城を拠点として尾張下四郡を支配した「織田大和守家」(清洲織田氏)に対し、武威を示して当時の尾張では清洲城と並び、重要な城であった。

弘治2年(1556年)、稲生の戦いで城主織田信安が、「織田弾正忠家」当主の織田信長の弟で末森城織田信行(信勝)に味方したため、信長と対立した。その後、永禄元年(1558年)、浮野の戦いで信安の跡を継いだ嫡男信賢は敗れ、翌永禄2年(1559年3月、岩倉城に篭城するも、信長に攻撃されて岩倉城は落城した。

また一説に、岩倉落城は永禄元年(1558年)とする説もある[2]

標高10メートルの低い台地上に築かれた平城で、東西約104メートル、南北169メートルの規模であり、南方の小田井城と相対していた[3]。現在の本丸跡には「岩倉城址」と「織田伊勢守城址」の碑がある。後者の碑は安政7年(1860年)に建てられたもの。なお二重の堀で囲まれた城だったらしい。

構造

発掘調査により、五条川の右岸において幅約10メートルと幅約23メートルの堀が各2条ずつ発見され、それぞれ外堀と内堀であると推定される[4]。さらに内堀に囲まれた区画からは3条の区画溝が存在し、東西約43メートルの区画があることが分かった[4]。この場所には井戸や人工的な穴が多数発見され、土師器皿や質の高い中国製の陶磁器が多数出土したため、岩倉城の中心部であったことが推定される。また、焼土面も見つかり、織田信長に焼き討ちにされた痕跡と推定される[4]

五条川左岸からも3条の堀と出土品が発見されたので、左岸にも岩倉城の関連施設があったことが推定される[4]

地籍図の分析からは、南北約900メートル東西約400メートルの規模で武家屋敷や市町が存在した分かる[4]

アクセス

脚注

  1. ^ 「岩倉の文化財を探そう(史跡)」岩倉市公式HP
  2. ^ 高澤等『新・信長公記』によれば、永禄2年は信長が年初から2月にかけて上洛しており、2~3ヶ月の攻囲の後、3月に落城したとする『信長公記』と齟齬が生じるとし、山内一豊の父山内盛豊の墓碑の年号から浮野の戦い弘治3年(1557年)、岩倉落城を永禄元年(1558年)、上洛が永禄2年(1559年)との説を立てている。
  3. ^ 日本城郭大系』 9巻、新人物往来社、1979年、309頁。 
  4. ^ a b c d e 中井均 鈴木正貴 竹...">中井均 鈴木正貴 竹田憲治 (2020/03/10) (日本語). 東海の名城を歩く 愛知・三重編 (初版 ed.). Tōkyō: 吉川弘文館. p. 34-36. ISBN 978-4-642-08366-9. OCLC 1142727586. https://www.worldcat.org/oclc/1142727586 </re 

関連項目

外部リンク




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