山本恭子 (映画評論家)とは? わかりやすく解説

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山本恭子 (映画評論家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/16 16:02 UTC 版)

1962年

山本 恭子(やまもと きょうこ、1906年ごろ - 1996年11月6日[1])は、日本の映画評論家翻訳家編集者。本名、山本田鶴[1]山本田鶴子の名義も用いた。

来歴

京都府船井郡和知町出身[1]宮城県第一高等女学校卒業[2]。女性映画評論家の草分けである[1]

洋画字幕スーパーや原作本の翻訳に従事した[3]ユナイテッド・アーティスツ日本支社、雑誌『キネマ旬報』編集部[3]、のち『映画之友』などの編集者として活躍した[1]。雑誌『映画ファン』の編集長も務めた[4]

90歳で死去[5]

著書

  • 『映画の黄金時代 銀幕のスターたちは語る』 (編、キネマ旬報) 2016年

翻訳

  • 『薔薇はなぜ紅い』上・下(スターク・ヤング、三笠書房) 1940年
  • 『埋れた青春』(ダフネ・デュ・モオリア、山本田鶴子名義訳、三笠書房) 1940年
    • 『埋れた青春』(ダフネ・デュ・モオリア、三笠書房) 1950年
    • 『ジャマイカ・イン:埋れた青春』(デュ・モオリア、三笠書房) 1952年
  • 『少女ペンのクリスマス・イブ』(キャステルハン、秋元書房) 1956年
  • 『乙女の祈り』(ジョーン・フレミング、東京創元社クライム・クラブ14) 1958年
  • 『制服の処女』(秋元書房) 1958年
  • 『土曜日のデイト』(ヘッドレイ、秋元書房) 1958年
  • 『ディアーヌの初恋』(ヘッドレイ、秋元書房) 1958年
  • 『わたしのお医者さま』(リチャード・ゴードン、三笠書房) 1959年
  • 『はつ恋ノート』(デュ・ジャーディン、秋元書房) 1959年
  • 『盲目の悪漢』(イヴリン・バークマン、東京創元社、クライム・クラブ29) 1959年
  • 『美しき十四才』(マスグレイヴ、秋元書房) 1960年
  • 『失踪当時の服装は』(ヒラリー・ウォー、東京創元社、創元推理文庫) 1960年
  • 『ジュニア舞踏会』(サマーズ、秋元書房) 1961年
  • 『彼はドライブ狂』(フェルセン、秋元書房) 1962年
  • 『水平線の男』(ヘレン・ユースティス、東京創元社、創元推理文庫) 1963年
  • 『あの時知っていたら』(デビイ・レイノルズ、秋元書房) 1964年
  • 『ハーレム街の少女ギャング』(キティ・ハンソン、恒文社、F6・Books) 1965年
  • 『マリアンの友だち』(N・ジョンソン、秋元書房) 1966年
  • 『愛すれど心さびしく』(マッカラーズ、秋元書房) 1969年
  • 『裸足のイサドラ』(シュウェル・ストークス、角川書店角川文庫) 1970年

脚注

  1. ^ a b c d e 日外アソシエーツ現代人物情報
  2. ^ 『失踪当時の服装は』(創元推理文庫)巻末・翻訳者紹介
  3. ^ a b 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』P.222
  4. ^ 渡部保子『「映画ファン」スタアの時代』
  5. ^ 「山本恭子さん死去」1996年11月8日 『朝日新聞』朝刊



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