山戎、獫狁、葷粥
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/11 08:52 UTC 版)
中国の歴史書『史記』によると、「唐(帝堯)や虞(帝舜)より以前には、山戎(さんじゅう)・獫狁(けんいん)・葷粥(くんいく)が北方の草原地帯に住み、遊牧生活を営んでいた。」 とあり、中国の伝説的時代(三皇五帝)に山戎・獫狁・葷粥といった遊牧民がいたとされる。しかし、これらの民族名は伝説時代にとどまらず、西周時代末(紀元前800年頃)の虢季子白盤という青銅器の銘文に「玁狁」の名が見え、周代の詩篇である『詩経』采微にも「玁狁」の名が見えること、『春秋左氏伝』荘公三十年・『史記』世家に、紀元前663年の出来事として斉の桓公が山戎を征伐した事件が共通して記されていることなどから、周代には実在した遊牧民であることがわかる。
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