山中氏のルーツ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2016/06/18 03:05 UTC 版)
後世の創作物である尼子分限帳から確認するに、山中幸盛が中老衆として尼子氏に仕えていたと表記されている。しかし、当時の一次史料である竹生島奉加帳で、記載順序は「次第不同」ではあるものの一番下段に山中三郎兵衛なる者が表記されていること、同年代には幸盛が産まれていないことから、当時の山中家の地位は高位ではなかった可能性が推測される。 また、佐々木文書にも山中家始祖の幸久の存在は無く宇多源氏ではなく橘姓近江山中氏が尼子氏下向時に一緒に下向したと思われる。
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