屠殺者カンバーランド
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:21 UTC 版)
「ウィリアム・オーガスタス (カンバーランド公)」の記事における「屠殺者カンバーランド」の解説
「屠殺者」は、政治がらみの皮肉として、ロンドンで最初に記録に残されたものである。兄で王太子のフレデリック・ルイスは、父王の代理で従軍する許可が下りておらず、カンバーランドへの悪意のある攻撃を奨励しているようにも見えた。カンバーランドによって、すぐに戦争が終わったと言っても過言ではない。スコットランド住民の大部分、そのスコットランド人以外のイギリス国民、そして植民地の住人が、ジャコバイトの威嚇からの救世主として彼を持てはやした。その一例として、カンバーランドはグラスゴー大学から、名誉学位を授与されていた。 カンバーランドは野営地にかなり厳しい規律を設けていた。彼は任務と判断したことを実践する際、兵をえこひいきせずに使った。そうでありながら、彼の注意を引くような特殊な場合には、温情的に自らの影響力を行使した。何年か後、ジェームズ・ウルフがカンバーランドについてこう述べている。「公はいつも高貴で寛大な人物である」カンバーランドの勝利の効果は、年間2万5千ポンドの支出がなされることが決定したこと、さらにその上王室費からも経費が出ることが認められた。またウルフやコンウェイには、カンバーランドがパトロンとなっていた。この勝利の、神への感謝の祈りがセントポール寺院で捧げられ、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルが、特にカンバーランドのために作曲したユダス・マカベウス(征服せし英雄)が初演された。
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